自己暗示とアファメーションは、同一のものとして捉えられがちです。実際に、「アファメーション(自己暗示)」という記述で紹介している本や記事などもよく見かけます。
でも実は、自己暗示とアファメーションは、微妙に違うものなのです。
自己暗示の危険性
ところが自己暗示には、危険な落とし穴も存在しています。
自己暗示の場合、自分に言い聞かせている言葉に囚われすぎるあまり、その願望が執着に代わってしまうことがあります。その結果、本来進むべき道からずれてしまい、自分自身を苦しめてしまう場合もあるのです。
自己暗示の場合は、「言い聞かせる」という「強引さ」があります。そのため、途中でストレスが溜まってしまう場合も多いのです。
そこで諦めてしまう人もいますが、一方で、逆のパターンの人もいます。それは、「引っ込みがつかずに意地になってしまい、その願望にしがみついてしまう」というパターンです。その結果、自分自身を苦しめ、八方ふさがりになってしまうこともあります。
でも、アファメーションの場合は、「宣言・約束」なので、自分の中ではもう既に「やる」と決めたことを声に出すわけです。つまり、「最後までやり通すのが当たり前」という前提で宣言しているのですね。
そのため、その宣言・約束を具現化していくこと自体が喜びであるため、途中でストレスになる事はありません。
自己暗示とアファメーションの違いは、少し紛らわしくてわかりづらいかもしれません。でも、少し重いニュアンスを持つのが「自己暗示」、軽やかさがあるのが「アファメーション」と考えてみるとわかりやすいと思います。
祈りとアファメーションは同じモノ
自分の心・魂の底からの望みを具現化するために効果的だと言われているのが、「祈り」です。そして、アファメーションもまた、祈りの一種であると言われているものです。
では、祈りとアファメーションは、具体的にどう違うものなのでしょうか。
祈りというものは、「こうなりたい・在りたい」という願望を宣言するものなので、本質的には、アファメーションと同じです。

ただ、祈りの場合は、神様・仏様といった「大いなる存在」に、結果の全てを委ねるということが大前提になります。そのため、もし結果的に自分が望んだものが得られなかったとしても、「それも最高裁善の結果である」と、そのまま受け止める姿勢が大切になります。
自分が望んだ結果ではなかったからと言って、悲しんだり怒ったりするようでは、祈りのやり方そのものを見直す必要があります。
一方、アファメーションの場合は、まず、「こうなりたい・在りたい」という目標を、かなり具体的に設定することから始めます。
そして更に、目標を達成した後に味わうであろう「感情」を、先取りして味わうという点が特徴です。感情を味わうことで、設定した目標がぐっと自分に近づいてくるのです。
そのため、「目標を達成した後に味わうであろう感情を感じながら、声に出して宣言を行う」というものがアファメーションです。
サブリミナルとアファメーションの違いは?
今、「サブリミナル音楽」「サブリミナル映像」といった、サブリミナルが話題です。サブリミナルもまた、「自分の深層心理に働きかけ、自分を暗示にかける」といった点では、アファメーションと似ている気がしますね。
では、サブリミナルとアファメーションは、どのように違うのでしょうか。
サブリミナルは、特殊な周波数の音・映像などを繰り返し流すことで、潜在意識に入り込むものです。
例えば、「お金持ちになる」といったキーワードがあったとします。映像であれば、このキーワードを文字化し、「どんなに注視しても認識できないくらいの速さ」で、何度も流していきます。
音楽であれば、このキーワードを音声化し、「どんなに耳を傾けても認識できない特殊音源」にして、何度も流していきます。その結果、無意識化で脳がそれをキャッチし、それを実現しようと動き始めるようになるのです。
言い換えれば、サブリミナルは、「ただ流して、視覚・聴覚に働きかけ、脳をコントロールする」という暗示方法です。これを繰り返すうちに、脳はどんどんコントロールされていくため、「努力せずに願望実現ができる方法」として、サブリミナルは注目を集めています。
それと同時に、「ネガティブなキーワードを流して、人の脳をコントロールする」という危険性も指摘されています。そのため、サブリミナルは、使い方を誤ると大変なことになるので、扱うには責任が求めれらます。
一方、アファメーションは、「ただ流すだけで、自動的に脳をコントロールする」というものではありません。自分で「このようになる」と自発的に意図し、宣言するということを続けなければなりません。
努力せずに脳をコントロールできるサブリミナルと違って、アファメーションには、ある種の努力が必要になります。全て自分の意志で行うため、サブリミナルのように「他者からコントロールされる」という形の暗示を受けることはありません。