管理人は、20代の若い頃は豆腐のようなメンタルでした。いつも周りの目を気にして「こんな言い方をしたら失礼じゃないかな?」「嫌われないかな…」などと気を遣いながら周りとつきあっていました。
でも、途中で疲れてしまいました。そうすると今度は、人間関係を避けるようになり、友人たちに「つきあい悪い」や「一人だけ何気取ってんの」みたいなことも言われたり。それこそ「心が折れる」言い方ををされてきました。
過去の自分を振り返って見ると、人付き合いが苦手で、周りに気を遣いながらも、何気なく放つひと言で引かれたり・・・と、今思えば空気を読めない存在ですし、それこそ自己中な人間ですよね(笑)
年齢を重ねて得た気づき
さすがに歳を重ねていけば酸いも甘いも経験済みですから、要領よくは振る舞えますが、20代の頃はそうではありません。結婚も子供にも早く恵まれたので、20代後半には立派な2児の(女・男)の母。でもやはり人付き合いが苦手なのは変わらずでした。
しかし、子供を通してイヤでもつきあいが始まります。
公園デビューなんて昨今言われていますが、それは今も昔も同じです。子供のためにも…と思い、自己啓発を学び始めたのもこの頃からです。そんな頃のわたしを思いながら、以下のテーマを考察してみました。
折れやすい心と折れにくい心があるとしたらその違いは何なのか?
心が折れたと口癖のように使う人もいれば、究極で声も掛けられないほどに落ち込んだ時に使う人もいます。
- 折れやすい心と折れにくい心のどちらを目指しますか?
- 貴重な人生の時間をどう使いますか?
- あなたの心は折れやすい方ですか?それともそうでもない?
では、早速2つの心の違いを見ていきます。
まず心とは?
心は、人間の気持ちや精神作用など、色んな場面や心情に対して使いますが、今回は以下のワードを前提に心について考察していきます。
- 判断する考え
- 目的への意思や興味
- 異なるものへの受け入れの器量
なども心という意味合いを持ちます。
受け入れの器量だなんて言われると、心が折れるというのは思い通りに行かなかったときの淋しくて辛い時にだけ使う言葉なのかと疑問が生じます。
心が折れるってどういうこと?それはどんなときに起こりやすい?
デジタル大辞泉(小学館)によると「心が折れる」とは、「心の支えを失い、意欲がなくなる。障害にぶつかってくじける。」とあります。
ただ、この意味では若い世代やアイドル言葉などで使われているような気がします。年配の人には通じないかな…。
その他として、比較される言葉に「心折れる」があります。相手の考え方や説得に自分の覚悟が途切れたり、譲歩など相手に寄り添ったりするときに使う言葉です。
この2つは接続しの「が」がないだけですが、随分意味が違うと思いませんか?
折れやすい心の人の傾向
- 何が何でも成功したい、自分の思い通りにしたい
- 自分の目的や将来像が具体的で明確すぎる
- 予定と違った場合の妥協案をあえて持たない程の完璧主義
かと思えば反対に自信がないタイプの人も折れやすい傾向があります。
- 優柔不断で決断を人任せにして、失敗した時には自己責任をおえない
- 家族や友人や世間と自分を比較してしまう
- 諦めが悪い(往生際が悪い)
いつまでも人のせいにしたり、自分の決断を後悔していても過去は変わりません。むしろ、心が折れていると感じている間は、貴重な人生の時間を「後悔する」ために割いていますよね。
なので、「心が折れる」と自分に思い込ませ、大義名分「逃げ」の口実とも言えますね。厳しくなりましたが、心が折れたままの人生に希望を見出せますか!?
後悔が悪いわけではありません。
心が折れるのも悪いわけではありません。
ですが、この状態が後々続き、トラウマまでに至ってしまうのは良いとは言えません。
折れにくい心の人の傾向
- 目的と違った時に、方向転換による進むべき道を選ぶことができる
- 正解がひとつだけではないことを経験上理解している
- プライドが高くない(等身大でムリをしない)
つまり先ほどの意味でご紹介した「心折れる」ことが出来る人は他社の考えに耳を傾けられる人です。起きてしまった過去に止まらず「ならば、こうしよう!」と訂正案を見いだせる人です。
折れやすい心と折れにくい心の違いまとめ
人生は成功ばかりではありません。また、失敗したと感じていることも人生の糧であり、決してそれは失敗ではないのです。
よく、高校受験などで志望校に行けなかった、失敗したと思う人がいますが、志望校に行かなかったこともまた人生です。志望校でないところでの体験や人とのつながりを持つことが、その人の人生に組み込まれていたと言うことです。
人生には分岐点があるから迷い、悩み、後悔もします。それが人生なので心が折れる時もあるでしょう。ですが、そんな時は「心が折れる」のではなく「心折れる」自分でいた方がずっとラクです。
20代の頃には決して考えれなかったことですが、「こうしなくちゃいけないこと」などというモノは、なにもないのです。自分の色眼鏡で見ているだけなのです。
自己啓発を学んで、歳を重ねた今だからこそ言えますが、人生なんてなるようになるし、収まるところに勝手に流れて収まります。良い時期もあれば谷底のように先が見えない時期もあります。
ただ、落ちっぱなしもない。と同時に上がりっぱなしもないのです。わたしが引き寄せでお伝えした中心軸に戻る中庸的な生き方は人生にも関連することです。

絶好調な時、天狗になっていませんか?
不調な時、悲劇のヒロインになっていませんか?
どちらも自分の軸からぶれているのです。だからこそ、中心軸に戻る。中庸的な生き方を意識すれば、極端にはぶれません。
この歳になると、少々のことでぶれたり感情が揺さぶられることも少なくなりましたが、まったくないわけではなく、たまに出くわすとやはりしんどい。でも、ブレが少なかったら戻すのは簡単ですし、エネルギーもさほど使いません。
若いときは、なかなか難しいと思うのですが、意識して中庸的な生き方をしてみてはいかがでしょう。「心が折れる」のではなく「心折れる」自分でいた方がラクな生き方です。
そういう意味でも「素直」「謙虚」ってとても大切なことなんじゃないかなと思います。
タイムマシーンで戻れるのなら、20代のわたしに言ってあげたいですね^^;