
「諸行無常」という言葉を聞いたことがあると思いますが、この言葉をしっかりと理解していけば、人間関係も大きく変わります。
自分の人生をこの言葉に当てはめて考えてみると、ただ「楽しい」「悲しい」と感じていたこと一つ一つに感謝と幸せを感じずにはいられません。
お釈迦様が教えてくれたこの言葉を胸に、今日から無常に生きてみませんか?
諸行無常とは
はじめに、「諸行無常」という言葉がどんな意味なのかを見ていきましょう。

この「諸行無常」の意味は、『私たちが暮らすこの世のこと・ものの存在すべては、常に姿かたちや本質が変化していき、同じ状態は一瞬たりとも無い』ということです。
「諸行」がこの世のこと・ものすべてを表し、「無常」は継続しないという意味に当てはまります。
この世に存在する私たち自身やその生活、普段使用しているもの。これらすべてのこと・ものは同じ状態を維持することができず、常に変化しているということなんですね。
諸行無常の教えはどの宗教にも共通なのか?
では、「諸行無常」という言葉は、どの宗教も共通なのでしょうか?
答えは「NO」です。
仏教では、この教えがあり、仏教になじみの大きい日本人にとっては当たり前のように感じるもの。しかし、キリスト教やヒンズー教、そして神道ではそのような教えはありません。
なぜならそれらの宗教では、「永遠に変わらない」という教えがあるからです。仏教と呼ばれるものであれば、必ず「諸行無常」を説いているということになります。
諸行無常が教えてくれる生きるヒント
変化していく毎日のこと・ものを感じながら、私たちはそれをどのように解釈していったら良いのでしょう?
そこで、この言葉が教えてくれる生き方のヒントを紐解いていきたいと思います。特に人間関係にスポットを当てていきます。
この時間は二度と訪れないこと忘れずに
私たちの生活の中で、様々な出来事や物の状態は常に変化していきます。急ぎの用事も、つい「明日やろう」と思って引き延ばしてしまうことがります。
でも、今この「瞬間」は、二度とやってきません。
その時間は、自分の人生のなかのほんのわずかなものであったとしても、今すぐ取り組むこととあとでやろうと引き延ばすことでは、人生が大きく変わることもあるのです。
など、経験ありませんか?
私は面倒臭がりなので、大事なこともついつい先延ばしにしてしまいたい気持ちが膨らみます。
でも「今やっておくことで、未来につながる」と奮い立たせて実施するように心がけています。「今やる」という動作は、直接人間関係には関係ないように感じるかもしれませんが、それは大間違い。
時間厳守という言葉もあるように、信頼や絆を深めるためにはスピーディなことは大切。それをきっかけにより良い関係性を生んだり、自分にとってのチャンスを掴むきっかけにもなりますよ。
「そういえば、あれをまだやっていなかったな」と気にして過ごすより、サッとやってしまったほうがスッキリするというのもありますよね。
「明日野郎は馬鹿野郎」という言葉もありますが、今の自分にできることをコツコツとこなしていくことで、日々の変化にも柔軟についていける体質になっていくのです。
最愛の存在との別れにも感謝できる
人も動物も、いつか必ず命が終わります。ずっと一緒にいたいけれど、常に変化していく世の中ですから、それは叶いません。
また、自分の命もそうです。ずっと元気で若々しくいたいけれど、年をとれば白髪も増え、腰も曲がり、目も悪くなります。
病気をしたり、だんだん体が言うことをきかなくなり、やがては人生を全うします。
年齢が若くても、病気や事故で亡くなる人もいますし、人によって生きている長さは違えど「死」と
いうものは誰にでもやってくるのです。
また、それは物でも同じ。大切に大切に扱っていても、いつかは故障したり割れたり、使えなくなってしまいます。
愛する人や動物たちとの「死」を通した別れは、残されたものにとって、とても悲しくてつらいこと。立ち直るのに時間を要しますし、深い悲しみに涙を流す日々が続くでしょう。
そのつらい時間の中で「命の儚さ」を感じ、「その人の分も精一杯生きよう」という気持ちや、「毎日を大切にして生きよう」「いま生かされてることがありがたい」というような感謝の気持ちを抱くのです。
以前、亡くなった人のことをいつまでも嘆き悲しむ私に、お坊さんが声をかけて下さったことがありました。
「故人は自分の命をもって、命の尊さと日々を精一杯生きていくことがどんなに大切かを教えてくれています。あなたがこれからどうやって毎日を生きていくか・・・その姿を故人に見せることが恩返しになりますよ」
と言われ、とても胸に響いたことがありました。
その時、自分が生きていることやたくさんのご縁に改めて感謝し、前向きになれたことを覚えています。
大切な人が亡くなっても、会えないわけではありません。いつも心に楽しかった思い出や耳に残る声があり、時にはそれが生きていくための力をくれます。
「もう会えない」と悲しんでばかりではなく、その人の意思をしっかり受け継いだり、自分が後悔しない毎日を過ごしていくことで無常の中にも感謝を見いだせるのです。
イヤな人との関係性を変えてみよう
どんなに心が穏やかな人にも、「苦手だな」と思う人物はいるはず。もし、自分の周りにそんな人がいたら、皆さんはどうしますか?
何事もないように装って、仲良くするでしょうか?それとも、明らかにわかるような態度で無視などしますか?
でも、これは、あまり…というより全然いいことではありませんよね。だって、嫌いなあまり、その人のことを常に考えてしまう自分がいるわけですから。
時間がとてももったいない!と考えを改めました。
そのような思いを抱えるのなら、「人生は諸行無常」と唱えてみると、心がラクになります。同じような状態はずっとは続きません。
いつかはその人が離れていくかもしれないし、自分からその場所を去るかもしれないし、もしかしたら仲良くなるかもしれない。
いずれにしても、いっときの感情に振り回されず、つらい人間関係さえも「成長のための試練だからありがたく感じよう」と切り替えて過ごしていきたいですね。
何をやってもうまくいかないときの励みにする
人生には、「何をやってもうまくいかない」と感じることを起きる場合があります。
- 仕事を頑張っていても成果が出ない
- 転職しても給料が少ない
- 自分以外の同僚はみんな昇格しているのに、自分だけ平社員
- いつも恋愛に失敗してしまう
- 勉強しても勉強しても成績が上がらなくてつらい
そんな問題に直面し、落ち込んだことがある人も多いと思います。特に仕事や勉強などは、人間関係にも大きく響くので、年齢関係なく悩む人が多いんですよね。
それで「人間関係も面倒だし、もういいや」と投げ出す人もいるかも知れません。
でも、こんな時こそ「諸行無常」を思い出してみて。
こういう問題も、ずっと続くわけではないのです。自分の心の持ち方次第で、今の状態を脱していくことができます。
仕事も、自分の好きなことであれば気持ちを腐らせずにどんどん追及していけます。勉強や恋愛も同じ。方法や手段を変えれば、新しい物が見えて、グググッと成功に近づくこともできるのです。
成功している人は、何もしていないわけではなく、私たちの目には見えないような努力までをも積み重ねています。

努力をしていれば、すべてが報われるとは思わないけれど、でも今がつらくても、「絶対に乗り越える」「絶対に掴み取る」と毎日コツコツ努力を続けることは泥臭いことでしょうか!?
「信念は山をも動かす」わたしの座右の銘です^^
まとめ
普段はあまり意識したことがありませんでしたが、私たちの人生はだいたい80~90年と言われています。数字で見ると大きく感じますが、割とあっという間に時間が過ぎていきます。
この人生を送る中で、ついつい無駄に過ごしてしまった時間や様々なことに挫折してしまった時間があるでしょう。
そして最愛の人やペットとのつらい別れや、人間関係での大きな悩みに涙する時間もあります。「何一つイヤなことやつらいことが起きない人生だった」という人は、いないんじゃないかと思います。
そのようにつらいことがあった時、どのように過ごしていくかが人生を大きく変えるきっかけになります。
この「諸行無常」を心にとめて乗り越えながらも努力をしていくことが、後悔のない人生を過ごしていくのに最適なのではないでしょうか?

様々な事柄に立ち向かい、楽しいこと悲しいことだけではなく、悲しくて涙が止まらないことも経験しながら、日々移り変わる諸行無常の中を生き、それに対して自分にできることをしていくのが理想ですね。
仏教の言葉には、自分の心の在り方や行いを振り返るために力をくれるものが多くあります。「諸行無常」の生き方をして、心をラクにしながらも感謝で溢れる毎日にしたいものです。